■第一回■ <民謡の歴史>
民謡の歴史を探るには、日本の文化・芸術の発展と非常に密接な関係にあると思います。 @「文化の定義」
文化とは政治・経済・軍事・技術などの領域と対比され、その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した活動様式であると思います。
1.真善美の追求
2.獲得した知恵・知識の伝達
3.人の心に感動を与える等の高度の精神活動をいう。すなわち学問・芸術・宗教・教育・出版などをいう。
A「芸術の定義」
芸術とは、一定の素材・様式を使って、社会の現実、理想とその矛盾や人生の哀 歓などを美的表現にまで高めて描き出す人間の活動とその作品をいう。
文学・絵画・彫刻・音楽・演劇など。 B「音楽の定義」
心の高揚・自然の風物などを音に託し、その強弱・高低や音色の組み合わせによって聴者の感動を求める芸術。
C「民謡の歴史」
日本の民謡(唄・踊り)は稲作農耕と深く関わり、稲作農耕が形づくられた、平安時代ではないかと思われます。
一方、貴族社会では、枕草子や源氏物語などでも拝察されますが、静かな立ち振る舞いと言うものが大変美しいものであるとの、考えがわかります。 やがて、能・狂言とかの近世の邦楽という、静かな美しさになっていきます。 |
■第二回■ <民謡の変遷> 現在、各地民謡の数多くは九州地方のハイヤ節が各地に唄い継がれ定着していっ た。ハイヤ節には「長崎県平戸島田助」「熊本県牛深」「鹿児島県阿久根」「福岡県小倉」などがある。 帆船時代に日本海を北上して、新潟の「佐渡おけさ」、山形の「庄内ハイヤ節」青森の「津軽アイヤ節」、岩手の「南部アイヤ節」、宮城の「塩釜甚句(ハットセ)」、さらに、茨城の「潮来甚句」いずれも酒席に唄われるにぎやかな『さわぎ唄』で、その地域により歌詞やハヤシが書き換えられてその土地に定着していった。 ◎それぞれの歌詞 ●牛深ハイヤ節 ハイヤーエー ハイヤかわいや今朝出した船はエー
どこの港にサーマ 入れるやらエー
(はやし)エーサ牛深三度行きゃ三度裸 鍋釜売っても酒盛りゃしてこい帰りにゃ本渡瀬戸徒歩渡り
●佐渡おけさ
ハアー佐渡へ(ハアリャサ)佐渡へと草木もなびくよ
(ハアリャアリャアリャサ)佐渡はいよいか住みよいか
(ハアリャサ サッサ)
●津軽アイヤ節
アイヤ アーナー あいや破れ障子に鶯鳴いて
寒さこらえてそれもよいや 春をまつ
●潮来甚句
“そろたそろたよ足拍子手拍子(アラヨイヨイサー)
秋の出穂より ヤレよくそろた
“潮来通いの船ならば 津の宮河岸から帆をあげて 潮来の河岸へと 乗り込め乗り込め ■芸者達の踊る「あやめ踊り」の地に唄われたのが「潮来音頭」「潮来甚句」である。 あやめ踊りは、昔は「潮来騒ぎ」といった華やかな遊女の踊りで、いまも花柳界の踊りとして伝えられている。 |
■第三回■ <民謡の語源>
はじめに民謡の概説がなされる場合、「民謡」という言葉そのものが問題にされるが、明治の中期になって初めて学問の対象と して使用された。それ以前は、さまざまな名称で呼ばれていた。
◎民謡という呼び名以前は「小唄、風俗唄、俚謡、俗謡、地方唄、在郷唄」などさまざまな名称で呼ばれていた。
◎学問的には明治39年の志田義秀 著「日本民謡概論」あたりが最初の使用例であろう。その後では大正3年文部省文教委員会編集の「俚謡集」(中身は民謡集)があるが、語源としては「日本民謡概論」が最初と思われる。 ◎民謡という言葉について、柳田国男は「民謡の今と昔」ではこう語っている。 『民謡などという堅い言葉は、使わずにすむものならば使いたくないのである。いかんせん現在地方の歌いものの中には、土に根をさして成長しなかったものが雑然として来たり加わっている。それを選び分けて祖先の心情を尋ねてみようとする場合に、古くからあるもの、住民が自ら作ったものに、なにか限られる名前がなくてはならぬ。そこで外国の学者のこれにあてている語を、仮に民謡と訳してみたまでである。あるいは同じ文字を以て自作の詩に名付ける人もあるそうだが、それは我々のどうしようもないことである。もしこの全然別個のものを誰かが混同するような懸念があるなら、こちらは民歌とでも改めた方がよいかもしれぬ』また柳田国男は同書の中で『民謡とは、平民のみずから作り、みずから歌っている歌』と定義し、「歌ったらよかろうという歌でもなければ、歌わせたいものだという歌でもない」その意味では、民俗学的立場による「民謡」の定義は純粋であり、やや狭義のものといえるであろう。
★民謡を作り、歌いあげてきたのは集団であった。だれかひとりの優れた思いつきが、直ちにその社会に承認され、それが伝承されることはなかった。その意味では、民謡は集団感覚をもった、個性に乏しいかもしれないが、それを通して日本人の意識の底にあった、生活意識をつきつめることが可能になる。
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■第四回■ <民謡の分類>
(1)田唄−−−畠唄・田打唄・田植唄・草取唄・稲刈唄
(2)庭唄−−−麦打唄・稗搗唄・麦搗唄・臼挽唄・粉挽唄・糸引唄
(3)山唄−−−山行唄・草刈唄・木おろし唄・杣唄
(4)海歌−−−網引唄・船唄・船引唄・鯨唄
(5)業唄−−−大工唄・木挽唄・綿打唄・茶師唄・酒屋唄・仕込唄
(6)道唄−−−馬子唄・牛方唄・木遣唄・道中唄
(7)祝唄−−−座敷唄・嫁入唄・酒盛唄
(8)祭唄−−−宮入唄・神迎唄・神送唄・念仏唄
(9)遊歌−−−盆唄・正月唄・踊唄
(10)童歌−−−子守歌・手鞠唄・お手玉唄 ●各分類の曲紹介
(1)田唄−田の草取唄(全国的)・三村の田植唄(茨城県)
(2)庭唄−祖谷の粉ひき唄(徳島県)・豆ひき唄(山形県)
(3)山唄−秋田草刈唄(秋田県)・秋の山唄(宮城県)・津軽山唄(青森県)
(4)海歌−網のし唄(茨城県)・帆柱お越し音頭(北海道)・銚子大漁節(千葉県)
(5)業唄−津軽木挽唄(青森県)・茶摘唄(静岡県)・酒屋唄(全国的)
(6)道唄−道中馬方節(青森県)・南部牛追唄(岩手県)・鈴鹿馬子唄(三重県)
(7)祝唄−秋田長持唄(秋田県)・さんさ時雨(岩手県)・お立酒(宮城県)
(8)祭唄−小念仏(全国的)・あんば踊(全国的)
(9)遊歌−ソーラン節(北海道)・越中小原節(富山県)・相馬盆唄(福島県)
(10)童歌−五木の子守歌(熊本県)
★リズムやメローディーは違うが、基本的に民謡は作業・労作唄として、唄われている。
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■第五回■ <日本人のリズム>
音楽にとってリズムは欠かすことが出来ません。日本人のリズム感は次のようなかたちに、分類してみました。
@水田稲作民のリズム/2拍子のリズム 水田や畑で農作業をするときは、両手両足を交互に使いながら前進や後退を繰り返します。
狭い村の集落では、日常自分の足で歩く以外、躍動的なリズムに出会えるチャンスが大変に少なかったわけです。なるべく慎ましく目立たぬように、生活をする中で、腰を落とし静かに歩く方が良かったわけです。
こうした日常的な身体の使い方により、自然なかたちの2拍子のリズムが形成されていきます。
●2拍子のリズム●心臓の鼓動
人間が胎内で聴覚が働くようになって初めて聞いた音、それが心臓の音ですから心臓の鼓動に近い2拍子のリズムは、安心感や安らぎをもたらすリズムです。▲草刈り唄、もみすり唄
A漁労民のリズム/波乗りの上下のりズム
波のリズム感は上下のリズム感です。九州、瀬戸内等の漁労民の方々は共通のリズム感があります。日本の漁民は稲作文化の影響で上下のリズムがやや弱いのですが、「牛深ハイヤ節」や熊本の「ハイヤ節」などは、縦のリズム感で構成されています。
瀬戸内では、稲作文化の影響がさらに強まり、稲作農耕民のリズムが重なり創り出されています。「阿波踊り」などは、腰を落とし、手や足でリズム感を出しています。▲一方、民族習慣の違いでは、ハワイ島などのポリネシア系住民達は、アウトリガーをつけた船で縦揺れではなく、横揺れのリズムとなります。●ハワイアンの踊り
B山村民のリズム/はずむリズム
代表的に考えられますのは、神楽です。日本各地の山村には、ダイナミックな神楽が存在しています。
このダイナミックさは、地形的な要因からと言えるでしょう。
山村には、急な坂道に家があったり、仕事も生活も山の斜面などが生活文化の一つと考えます。この斜面を上り下りするときに、膝や足首などが柔軟でないと生活できません。こうした身体の使い方でかかとを浮かし、膝の弾力で弾む動きが神楽に反映されてきました。
また、山村の人々は呼吸法がとても上手で、息継ぎの少ない唄も平然と唄いあげます。▲盆踊り唄などに象徴される。北海本唄・相馬本唄等
C狩猟民のリズム/ビートのあるリズム
日本では非常に少ないリズムです。
北海道のアイヌ民族が代表されます。数人で踊る「鶴の舞」は飛び跳ねるように踊り、1拍ごとにビートがあり、その声にもビート感があります。
D牧畜民のリズム/3拍子系のリズム
日本では、牧畜民の生活を何処にと断定するのは難しいのですが、基本的には馬と人間とのリズムバランスです。このリズム感は大変に難しく、人間の歩くリズムとは違い、予備的に弾みながら、強弱をつけながら躍動的なリズムになります。
このリズムは、津軽民謡に代表されます「津軽じょんがら節」などは、強−強−弱(強−●−弱)という3拍子のリズムです。
※2018.7.03 訂正:誤り⇒強−弱−強(弱−強−弱)を正しい⇒強−強−弱(強−●−弱)に訂正いたしました。 |